「それなり」に生きるということ

おはようございます。ポンゴです。

 

今日初めて1限の授業に間に合いました。

夏休みに培った「だらだら精神」からそろそろ脱却できそうです。

 

一昨日のブログを読んでいただいた方からのコメントの中にあった「それなり」という言葉がものすごく印象に残って、頭から離れません。

 

「それなり」もちろん意味はわかっているつもりですが、なんとなく正式な意味が気になって、ネットで調べてみました。

 

それなりに

意味 

そこそこは。相応には。問題や不満がないわけではないが、ある程度の満足は得られている様子を表す。(Weblio辞書から引用)

 

なんとも難しい言葉ですよね。

問題や不満がないということはポジティブな意味としてとらえることができるし、その反面、「ある程度の満足」という表現は完全に満足しているわけではなく、すこし妥協しているという意味にも捉えることができますよね。

 

ではそれなりの対義語ってなんでしょうか?

調べてもあまり出てこなかったので、考えてみたら、

「不器用」、「極端」という言葉が思い浮かびました。

「それなり」の人っていうのは、「なんでも器用にできちゃう人」っていう印象があります。

だからその反対で、不器用。

また、それなりって中途半端という意味も含まれている気がするので、その反対で、極端。

 

それなり↔不器用、極端

 

これなんか面白くないですか?

 

対義語なのに、どちらもポジティブな言葉には聞こえません笑

僕はどちらの言葉にも負のイメージを持っています笑

 

ではこれにこの世で最もスケールの大きい動詞「生きる」を後ろにつけるとどうでしょう。

 

それなりに生きる↔不器用に生きる、極端に生きる

 

なるほど。こうなると、言葉の印象がその人が今までどうやって生きてきて、これからどう生きたいかで変わってくるのではないでしょうか。

 

当の僕は言うと、かなり不器用で極端な生き方をしていると自負しているので、なんとなく、極端側の立場を擁護したい気持ちはあります。

その反面、なんでも器用にこなす生き方にも少しだけ憧れがあります。たぶん無理ですけど。

 

まぁ「それなりに生きるか、極端に生きるか」という二元論がそもそも「極端」であり、

「それなりに生きてるけど、たまには極端に生きてみる」という「それなり」の生き方があっても良いわけです。

 

何を言っているかわかりませんね笑

 

そう考えると「それなり」に生きるには「それなり」と「器用、不器用」の両方を兼ね備えている必要がある気がします。

 

ならば一度は「極端」を知らなければならない。

となると、体力がある若い時期にできるだけ極端なことを経験してみる必要があり、それを分かりやすく表現すると何事にも挑戦しなければならないのです。今は。

 

 

「それなり」に生きるためには「不器用に、極端」に生きなければならないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アセラナイ アセラナイ

こんにちは。ポンゴです。

なんとか、夜に寝て朝に起きるという生活をとり戻してきました。

 

秋と言えば、

スポーツの秋ということで、最近テレビでやっているサッカーや女子バレーを見ています。

自分が体を動かすことはありません。

子供の頃は、スポーツをやっている人というのは

憧れのカッコいい大人たちというイメージですが、

この年齢になると同い年や年下が活躍することが多くなってきて、

素直にすごいなぁと感心しています。

「若手」なんて扱いを受けずに結果を求められ、称賛と絶望の日々を戦っている彼らは僕より、一足早く大人の世界に踏み込んでいるのでしょう。羨ましくないといったら嘘になります。

 

彼らはそのスポーツに打ち込むために多くの時間を犠牲にし、思考を巡らす間もないほどスピーディーに10代を駆け巡って生きてきたのかもしれません。

超普通に生きてきた僕とは比べ物にならないくらいの早さで。

 

 

ある時期、大学に行くことって時間の無駄なんじゃないかと思っていたときがありました。

18から22の間って吸収力があって、バイタリティーがある年頃なんで、教室で座って勉強しているより、さっさと社会に踏み込んで、大人の洗礼を浴びた方がいいのではないかと。

社会を見てみて、やりたいことが見えてきたら、すぐにシフトチェンジできる時期でもあるから。

 

でも最近はそんなに焦りすぎる必要もないなと思うのです。

確かに同じ年代の人で「今」脚光を浴びている人なんてたくさんいるけど、10年後、15年後はどういう立ち位置にいるかなんて誰も想像つきません。

むしろ彼らはあまりにもスピーディーに生きてきた分、あとから失速してしまうかもしれません。

20代なんていうのは良い意味で「何者でもない者」でいられる時期であり、そこをわざわざ必要以上に「何者」かになろうとする必要はないと思うんです。

僕にとって大事なのは、30代以降の、人間として成熟してきた頃にどういう人でありたいかということで、今の時期はそのためにたくさんインプットする期間としか考えていません。

とにかく焦ってはいけないのです。

焦ったら物事本質が見えなくなります。

 

一度近所の公園でぶらついているフランス人のおじいちゃんに家に招かれて、占いをしてもらったことがありました。

 

その時言われたのは

「君はとにかくせっかちだ。とにかく焦らない焦らない。

焦らなければ君は成功する」

 

なるほど。

 

占いなんて全く信じずに生きてきましたが、ここはひとつ少しの乗せられた気分になって信じてみましょう。

 

俺よ、決して焦るでない。

 

健康的で文化的な最低限度の生活に少しのビール

こんにちは。ポンゴです。

 

今日は、朝の6時くらいまで同じ下宿先にいる友と二人で飲んでいました。

そのあと午後からサークルの手伝いにいったのですが、寝坊するわ、酔いは残っているわで、全然頭が回りませんでした。

そのせいか後輩に無愛想に接してしまった気がして、かなり後悔しております。

どんなときでも笑っていられる人って素直に尊敬します。

僕はすぐ気持ちが表情に出てしまうので。

無理して笑おうとしてるときって精神をかなりすり減らしている気がします。

でも無意識に笑顔を作ってしまうんですよ。

やっぱり笑っていたら本当に楽しくなってくる時もあるし。

たまにですけど。

 

少し話が逸れました。

今日の朝まで飲んでいた友達のことなんですけど、彼、経歴が変わっているんです。

彼は大学生なんですが、僕と同じ大学ではありません。

県外の大学に籍を置いているんですが、現在大学に行っておらず、休学して、国立の大学の編入試験の勉強をしているんです。

その勉強に集中するために、自分の全く知らない土地かつ家賃が破格値という条件の物件を探したいたところ、僕が住む下宿先にたどり着いたそうです。

 

僕も最初に彼と話したとき何を言っているのか理解ができませんでした。

 

「国立の大学に編入したいから、その勉強に集中するために自分の知り合いが全くいない土地かつ、この地方で一番安い物件を探したら、この物件が見つかったんで、引っ越してきました」

 

「へ???」

 

最初は彼の思考回路が理解できなくて、戸惑いましたが、彼は見知らぬ土地で知り合いが一人もいなかったこと、僕も友達がほとんどいなかったというお互いの悲しい現状が一致したことから、次第に仲良くなっていったのです。

 

そんな彼が昨日ようやく本番を迎えたのです。

それのお疲れ様会ということで僕の部屋で飲んだのですが、

まぁとにかくしょーもない話しかしなくて笑

結局夜な夜な5時間半ほどずっとしゃべっていました。

年齢も大学も置かれている境遇(僕は留年生、彼は受験生)も違うのに、なんとなく酒を交わしながら将来のことを話したりして。

それだけでなんか人間っていいなと感動してしまうのです。

 

家賃の安いボロアパートでお金もないけどコンビニのビールを飲んで延々としょーもないことを語る。

これは10年後、20年後にずっと思い出し笑いできる思い出を今作っているんだなと思って

それはそれでお金はなくとも豊かな生活だなぁと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

友達にもらったチャリで走り出す

こんにちは。ポンゴです。

昼夜逆転した生活を送っており、未だに夏休み気分から抜け出せていないようです。

もう10月なのに。

 

最近友達から自転車をもらったので、よく夜な夜な自転車で家の近くを走っています。

夜に自転車を爆走させたい衝動に駆られるんですよ。

特に理由もなく。ただぶっ走りたい欲。

それも昼ではダメなんです。夜じゃなきゃダメなんです。

なんというか、夜特有の孤独と哀愁みたいなのを感じたいんです。

でもそれは思春期特有の「盗んだバイクで走り出す」くらいの大人になりきれない反発のエネルギーから生まれる衝動ではなくて。

どっちかというと、大人になってしまったが故に、どこかで自分の人生を客観視してしまって、それが少し寂しくなっている感覚というか。

尾崎豊っぽい夜というより浜田省吾っぽい夜。

わかります?笑

ただ僕が浜田省吾に憧れてるだけなんですけど笑

浜田省吾の歌詞ってものすごく日本男児特有の孤独と哀愁の美徳が描かれていますよね。

たまらないです。

あの歌詞ってやっぱり年を取ればとるほど心に染みるんですかね。

僕が一番好きな浜田省吾さんの歌詞は

「J.BOY」の

午前4時 眠れずに 彼女をベッドに残し

バイクにkey差し込み 闇の中 滑り込む

全てが消え去るまで 風を切り 突っ走る

 

という部分です。 

なんというかもう色気がありすぎて震えます。

頭の中で歌詞が映像化されて、空気感まで伝わってくるのです。

 

僕は夜更かしして午前4時になると毎度この歌詞を思い出します。

そして一人でベッドでゴロゴロしながら、いつかこんなかっこいいことやってみたいなぁと思うんです笑

これはたぶん僕の死ぬまでに一度やってみたいことランキングベスト3に入ります。

 

それを叶えるためにバイクを購入せねば、、、

というかまず免許を取得せねば、、、

なにやってるんだ俺、、、

この歌詞をチャリに置き換えたらダサいですもんね。

 

午前4時 眠れずに 彼女をベッドに残し

チャリにkey差し込み 闇の中 滑り込む

全てが消え去るまで 風を切り 突っ走る

 

ダメです。ダメです。雰囲気台無しです。

なんかチャリでめっちゃ必死に走ってそうですもん。

なんか泥臭くてイヤです笑

やっぱり男はバイクなんですよ!!!

 

ということで在学中になんとかお金をためてバイク買いたいなぁと思います。

 

 

 

 

 

 

 

耳をすませば。

こんにちは。ポンゴです。

今日もちょっくら授業をサボってしまいました。

まだ今日は1日も外に出ておりません。

今日はベッドで寝ながらラジオを聞いていました。

 

朝からずっとです。

 ラジオにはまったのはたぶん大学2年生くらいのときで、ただお金がかからない暇潰し程度でしかなかったのてすが、今はもうラジオをかけない日はありません。(ラジオといっても某動画サイトで録音されたものなのですが)

 

ちょっとした中毒であります。

 

最近ラジオってめっちゃ流行っていますよね。

テレビは見ないけどラジオを聞くって方結構多いんじゃないかと思います。特に若い人。

何でなんでしょう?笑

 

僕が思うに地上波の「置きにいった」番組に辟易としてるんじゃないかと少し思います。

 

昔のテレビってすごい面白かったと思うんですよ。

ものすごい馬鹿なことにお金をかけたり、内容が過激だったり。

 

でも今ってコンプライアンスの問題やハラスメントの問題とかがめっちゃ厳しくて、それで一部の視聴者からクレームがきたりして、それはテレビのスポンサーとしてもイメージが悪くなるから、あんまり思いきったことができないのかもしれません。

となると本当の「面白い」を求める人たちはyoutubeや、地上波では流せないディープな話をしてくれるラジオに流れているのでしょう。

そうなるとますますテレビの視聴率が下がる、、、悪循環、、、

 

あまりにもコマーシャリズムを突き詰めると「面白い」が離れていくんですね。それは芸術にも言えることだと思います。

 

コンプライアンス問題というのは今後考えていかなければなりません。 

今はyoutubeやラジオというある程度コンプライアンス治外法権みたいなのは認められていますが、今後あまりにも極端に規制しすぎてしまうと、どうなってしまうのでしょうか?

行き着く先は

地球全体が一部の人間に徹底的に管理された、社会主義的なまとまりになることであり、人間が枠の範囲から出ることを禁じられた飼い豚のようになることでしょう。

SF作家伊藤計劃が描いた未来の世界が現実のものとなるかもしれません。

 

でも実は我々人間はもうすでに上層の人間の飼い豚になってるのかもしれません。

あー怖い怖い。

 

論理が破綻していて、なんか都市伝説みたいな終わり方になりましたね笑

 

疲れたんでもう寝ます。